こんな内容です

今年は歌人であり、漂泊の天才詩人・石川啄木が鍬ヶ崎に上陸して100年の年。それを記念して当時、啄木が歩いたであろう足跡をたどる記念イベントが行われました。本誌では、啄木の宮古寄港の詳細、関連事項の紹介と検証、当時の地図から立ち寄ったと思われる経路や店を探っています。また、啄木は利用していないのもも、寄港したその年に塩竃定期航路が開けた、三陸定期汽船、明治末期から花開いた鍬ヶ崎花街、北海道の記者時代、啄木に影響を及ぼしたとされる、宮古出身の記者・小国露堂、晩年、啄木のことを露堂から聞いた、駒井雅三の感想を紹介しています。また、啄木寄港記念の文学碑が建つ高台にあった宮古測候所と、戊申戦争で幕軍総裁だった榎本武揚と行動を共にし、明治の世となってから内務省地理局に席を置いた荒井幾之助と宮古海戦も行われた宮古測候所の因縁を、もうひとつの百年として紹介しています

望郷と漂泊の天才詩人・石川啄木と宮古

望郷と漂泊の天才詩人、歌人として知られる石川啄木は明治19年、郷土・岩手の玉山村に生まれました。『一握の砂』や『悲しき玩具』など多くの詩集や文学作品を残し、26歳という若さでこの世を去りました。その啄木は宮古の地にも所縁(ゆかり)があります。北海道での新聞記者時代、宮古出身の同じ記者、小国露堂とも親交があったほか、船で上京の際、宮古鍬ヶ崎に立ち寄っています。