こんな内容です

明治2年(1869)明治新政府の甲鉄、春日、丁卯、陽春の軍艦と四隻の輸送船からなる艦隊は幕軍討伐のため函館を目ざし北上。風雨のため離散しながらも3月18日から20日、南部領宮古の鍬ヶ崎で天候回復を待っていました。この官艦北上の情報を知った函館の幕軍・榎本武揚は前年11月に旗艦・開陽を江差沖で失った海軍力の挽回をはかるため、宮古湾で錨泊中の新政府軍の最新鋭艦・甲鉄を奪取する作戦を立案、この作戦遂行のため高雄、蟠竜、回天の三隻を極秘に南下させました。作戦は錨泊する甲鉄の両舷に蟠竜と高雄が平行接舷し、陸兵が乗り移り甲板を掌握、乗員を船底に押し込め函館まで曳航するという大胆なものでした。しかし、宮古湾より南の山田港で待ち合わせた幕艦三隻は合流できず、しかも、一隻は機関故障で直前で戦線を離脱。かくして明治明治2年3月25日午前4時、作戦は敢行されましたが、が宮古湾に錨泊する甲鉄奪取の奇襲に挑んだのは、この作戦の牽制艦として同行した海軍奉行・荒井郁之助、艦長・甲賀源吾、陸軍奉行・土方歳三が乗船する軍艦・回天一隻のみの単独奇襲だったのでした

今年は宮古海戦から140年の記念の年です

今月は今年が宮古海戦から140周年の節目の年です。本誌では函館戦争の命運を分けたとも言われる宮古海戦を細部にわたり再検証。今まで詳しく発表されていなかった資料などから新たな記録を採取しながら宮古海戦を掘り下げました。また、年は前後しますが会津藩をめぐって東北諸藩が手を結び、そして敵対した奥羽列藩同盟と南部藩など、それぞれの思惑のなかで日本中が戦火の炎に巻き込まれた戊辰戦争を振り返りながら、本誌2006年3月号の特集・硝煙の海原の続編として紹介しています