こんな内容です

遠くのまちとまちをつなぐ鉄道。四季折々の風景の中で、列車は人々を乗せて快走します。そこに人と人が繋がり産業が生まれ文化が作られてきました。人は旅人になり列車の揺れに身をゆだねました。高度成長の時代を経て、今やモータリゼーションの波に押されて苦闘するローカル路線ですが何故かいつの時代も郷愁を誘います。開業25周年を迎えた三陸鉄道、懐かしいSL、誰もが旅立った山田線宮古駅…。あの日あの時のふるさとの鉄路が今、蘇ります。
昭和59年(1984)4月1日、三陸鉄道が開業して今年で25周年を迎えました。全国初の第三セクター鉄道として走り出し、沿岸住民の足となって四半世紀を駆け抜けてきたことになります。近年は、マイカーの普及や少子化の影響を受け、厳しい経営状況が続いていますが、様々なイベントなどを通して利用促進を呼びかけながら、生活に欠かすことが出来ない大切な足として南北リアス線ともその役割を担っています。25年の今、マイレールさんてつの姿を追いかけてみましょう。

三陸鉄道構想は明治時代からの悲願

三陸鉄道を結ぶ構想は明治時代からありました。当初は沿岸都市と内陸を結ぶ路線の建設に力点がおかれていましたが、昭和に入り終戦後、国鉄久慈線・盛線をつなげると八戸から東北本線の小牛田まで三陸海岸が鉄道で直結され、青森・岩手・宮城の三県の沿岸地域を鉄路でつなぐ、三陸縦貫鉄道構想がありました。昭和37年(1962)に鉄道審議会において盛〜釜石、宮古〜久慈を工事線とすることが決まり工事が本格的にスタート。完成目前の頃になって国鉄の危機的経営状況の悪化で部分開業していた区間が廃止対象となり、未開業区間は工事凍結となりました。
現在の三陸鉄道は、この廃止路線の経営を引継ぎ、工事凍結で未開業となっていた吉浜〜釜石、田老〜普代を完成させたうえ、南リアス線(盛〜釜石)と北リアス線(宮古〜久慈)の二路線で、日本最初の国鉄地方交通線転換の第三セクター鉄道として営業を開始したのでした。
三陸鉄道は、JR山田線を間に挟み、久慈〜宮古間の71キロの北リアス線、釜石〜盛間の36、6キロの南リアス線の二路線で営業しています。全国有数の観光地である陸中海岸国立公園を南北に縦断。その総延長は107.6キロです。路線は、リアス式あるいは隆起式の海岸が続く険しい地形を運行していることから、トンネル区間が長く橋梁も多いことが特徴。沿線には数々の景勝地があり、車窓から眺める風景は格別なものがあります。