こんな内容です

維新後宮古代官所がそのまま宮古町役場となりまちづくりの先駆者によって閉伊川河口東左岸立が始まりました。大正時代となり、合併を間近にした宮古・鍬ヶ崎両町にとって埋立で得られた利便性のよい場所として築地や旧舘には明治・大正、昭和初期にかけて裁判所、税務署、警察、郵便局、銀行、電気会社などの庁舎が軒を並べました。当時、旧舘は宮古の中枢であり活気に満ちたモダンな町だったのです。戦後、住居表示は旧館から愛宕へと変わりましたが旧舘という呼び名は今でも語り継がれています。今月はそんな古き良き時代の旧舘へタイムスリップしてみました。

旧館ケゲダス地図・思い出してみよう遠いあの日の旧館界隈

「ケゲダス」とは古い宮古弁で「思い出す」という意味です。転じて懐かしい昔を懐古するという意味でもあります。今回掲載した旧館ケゲダス地図もそんな思いから、昔の旧館を知る地元で育った旧館っ子の田中キミ子さん(85)の記憶を頼りに編集部で作成したものです。田中キミ子さんは大正13年(1924)生まれ、愛宕小学校の前身である分教所、高等科、青年学校(鍬ヶ崎小学校)、盛岡洋裁学校、岩手県挺身隊を経て昭和19年旧館に戻り終戦をむかえました。戦後は昭和33年(1958)頃、五分団はす向かいに雑貨屋田中商店を開業しています。以来長年旧館で商売を続けてきたが現在は店を閉め息子さんと暮らしています。「最近は歳で記憶がままならない」と笑いますが、旧館華やかかりし頃の思い出は今も健在です。旧館にかつての賑やかさはもうありません。けれどその街並みや路地には忘れかけた昭和の風景が残っています。そして大正時代からの老舗そば屋をはじめ、最近評判のラーメン屋、ボリュームたっぷりの大衆食堂などなど旧館界隈はまだまだ楽しめます。