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こんな内容です
この街並みを心のアルバムに貼っておこう

時代とともにまちは変わってきた。しかしこの惨状は未来へと続く時代の歯車としてはあまりにも酷い。戊申戦争宮古海戦の舞台、芸者が闊歩した華やかな花柳界、三陸定期汽船が就航し海の玄関口となり、大漁に沸いた魚市場それらの歴史を抱きながら、今は静かに時を刻んでいた鍬ヶ崎を三月十一日大津波が襲った。無防備のまちは押し寄せる波と流れ込んできた船舶で破壊されほとんどが瓦礫と化したのであった。
全盛期には町内に数軒あった銭湯のうち最後の一軒となった銭湯も解体されていた。毎年サンマの時期になると宮古に寄港する漁師たちも利用する鍬ヶ崎人情の銭湯でもあった。津波が去って片付けをする女将は自分が元気なうちは続けたいのだが…と語っていた。しかし数週間後訪ねてみると銭湯は解体され煙突だけが残っていた。慌ただしく動き回る重機の音を聴きながら歴史が終わる、そんな瞬間を見たような気がした。

東北関東大震災・特別号第二弾の発行について

2011年3月11日−。私たちのまちに、そして東北太平洋沿岸に大きな衝撃を与えた東日本大震災から3ヶ月が経った。しかし、巨大津波によって壊滅的な被害を受けたまちではあったが、多くの人の努力によってそのまちは日々変化し、復旧の足音が聞こえてきている。過去、何度となく津波はこの地域を襲ってきた。幾多の津波被害を受けながらも先人たちは前へ前へと進み復興を成し遂げてきた。今、みやこの町は再生にむけて心ひとつに住民たちが力強く立ち上がっている。がれき撤去も進められる中、仮設住宅の建設も進み7月中にはすべてが完成する。漁業も一部再開され、商店街や飲食店街にも明るさが戻ってきている。だが、私たちはあの日、あの時のことを忘れてはならない。あの日のことを伝えたい、伝えて行かなければならない責務がある。本誌『みやこわが町』は、後世にこの惨状を伝え残していかなければならないとの思いで、この記録集の第2弾を今回も発行することにした。今号では住民からの資料提供もあり、新たなあの日の記録を加えながら前号で使用できなかった写真と共にあの惨状、そして復興に向けて確かな一歩を踏み出すまちの姿を紹介していく。