8 2011_08
こんな内容です
この街並みを心のアルバムに貼っておこう

震災後何度か田老地区を訪れた。そこで目にしたものは瓦礫と化した田老地区は無残な光景だった。過去にも何度となく津波被害に遭いながら津波防災対策は万全なはずだった。しかし津波は防波堤を越えまちをのみこんだ。
震災から約100日が過ぎほとんどの瓦礫が撤去された。まちに残ったのは鉄筋の建物数軒と横たわる巨大な防波堤だけだ。昨年の暮れ、田老地区の石碑を取材した時にこの魚濫観音を撮影した。その日は冬晴れの晴天で折しもアワビの口開けの日だった。石碑取材を終えて漁港に行くと漁師たちが水揚げをしていた。大漁ですか?と聞くと「だめだ」と応えるが漁師たちの顔には活気と笑みがこぼれていた。魚濫観音は田老町川向の大西フクさんが昭和52年に建立したものだ。震災後は一時行方不明になっていたようだが、現在元の台座に戻され荒野となったまちを見守っている。。

見慣れた景色が貴重な景色となった瞬間

鍬ヶ崎、昼下がり。浄土ヶ浜大橋手前から熊野町を望む
熊野神社の石段から北をその昔桜町と呼んだ。その呼び名に郷愁を感じる人は現在50代以上の人たちだろう。昔は熊野神社石段の下に第二不動園があったね…などと昔話にし花が咲きそうだ。写真はその桜町の路地からその向こうに鍬小のプール、その先に鍬ヶ崎の家々が並び魚市場、なあど、閉伊川河口を挟んで藤原埠頭の県営大型上屋までを画角に捉えている。鍬ヶ崎展望のポイントは浄土ヶ浜大橋ばかりではない。意外な場所に斬新なアングルがあるようだ。撮影したのは2008年1月中旬、平和でゆったりとした時間が流れる午後の景色だ。
夕餉の港。なにげない幸せといつもの夕暮れ
仕事が終わり家路を急ぐ人々。家族の帰りを待って夕餉の仕度をする人々。あるいはこの時間から仕事に行く人…。さまざまな生活の中に多くの家族が暮らしていた。あかね色の空を映した海が黄昏色に染まって港町に夜の帳が下りるほんの少し前、そう、風が止まりまるで時間が止まったように感じて、いつもの街が別の街のように見えたりしたものだ。そんな港町に大津波が押し寄せ大切な命や多くの家や財産をのみ込んでしまった。街は瓦礫の山となりそして数ヶ月後何も無くなった。この街で安穏な夕餉を迎える日はいつになるのだろう