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こんな内容です
私の鍬ヶ崎。迎え火の煙はさみしくゆれて 〜コラム鍬ヶ崎そぞろ歩きより〜

海岸沿いを歩く度に感じる潮風と、木造の建物の放つ懐かしい香り。モノ好きな人を集める町への"素材"としての可能性を感じさせた町、またそのような町になることを信じていた、あの鍬ヶ崎はもう無いが、やはり私は今でも鍬ヶ崎がたまらなく好きだ。
迎え火の煙が空に向かって昇って行くのを眺めながら、甥姪っ子と花火をした。こんなにも変わり果て、真っ暗で家々の土台しかない鍬ヶ崎に、祖父母たちはちゃんと迷わずに家に来てくれるだろうか。夜空を見上げた松明しの夜は、やはりさみしいものだった。

震災レンズレポート・タンカー第十五多賀丸搬送

鍬ヶ崎に押し寄せた津波に乗って多くの船舶が家屋を破壊しそのまま陸に取り残された。その中には大小の漁船をはじめ海洋実習船やドッグに入っていた観光船もあった。震災後、鍬ヶ崎地区の倒壊家屋の解体撤去が進む中でこれらの船舶も解体撤去されたり痛みの少ないものは修理のためドッグに搬送された。写真は鍬ヶ崎仲町の七滝湯附近に取り残されたままになっていた、塩釜商会の小型タンカー第十五加賀丸の搬送シーンを撮影したものだ。この搬送作業は6月9日午後に大型クレーンとトレーラーを使って行われた。移動先は約800メートルほど先の宮古湾連造船所で搬送時間は数十分程度の短いものだったが、民家ほどもある大きな船を吊り上げトレーラーに積む作業は慎重に行われ見物人が集まった。
写真右側の宮古警察港町派出所では津波来襲時に勤務していた警察官二名が殉職した。それを知った人々が派出所跡に花や線香を供えたところ、被災後復興支援に宮古に入った全国の警察官や自衛官、機動隊員らも立ち寄り花やビールなどを供え、殉職警官の慰霊をするようになった。建物は無線の鉄塔が折れ被災したままの状態で今も残され多くの花が供えられている。この派出所は鍬ヶ崎界隈では「水上警察」の名で親しまれ鍬ヶ崎から崎山方面までを管轄として地区の治安に務めていた。
現在、宮古湾連のドッグに入った加賀丸は船体の傷などを修理している。また、隣には角力浜の宮古漁協冷凍工場前に打ち上げられた国立宮古海上技術短期大学校の実習船・月山が並んで修理されている。