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わたしが愛したふるさとの記憶を忘れたくない

かすかな寝息のように
さざ波が浜に打ち寄せ
ゆっくりと夜が明けてゆく
ベタ凪の海には
ウミネコもいないし
口開けの朝のような
慌ただしい喧噪もない
もう少しで夜通し操業した
船たちが帰ってくる
今日も鍬ヶ崎は
いい日和りだ

鍬ヶ崎ものがたり

鍬ヶ崎の最大の特徴は、宮古湾口に位置する港町であることだ。宮古湾は奥深く、重茂半島による東風が遮られるため波も静かで、三陸海岸でも有数の避難場所でもあった。このため鍬ヶ崎は、江戸と北海道を結ぶ海上交通の要衝として、古くから知られていた。戊辰戦争中の明治2年3月25日(旧暦)には、鍬ヶ崎に停泊していた官軍の戦艦「甲鉄」に、幕府軍の戦艦「回天」が奇襲攻撃をかけるという「宮古海戦」の舞台にもなった。明治21年には、鍬ヶ崎と塩釜を結ぶ航路が開拓され、明治41年には三陸汽船が設立されて、宮古〜塩釜間、さらには東京や函館へと航路が伸びていった。こうして昭和9年に国鉄山田線が開通するまで鍬ヶ崎は三陸海岸の玄関口であった。