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一杯のコーヒーから青春の喫茶店 あの頃にタイムスリップ

1960〜70年代は喫茶店の全盛時代。宮古のまちにも多くの喫茶店があった。待ち合わせ、ひとりの時間、友だちとのおしゃべり、商談、話し合い、さまざまな意味の空間を提供していた喫茶店。しかし、近年そうした店もめっきり少なくなった。だが、あの頃、そこで過ごした時間の特別な記憶は、いくつになっても忘れることはない。それぞれの青春に刻まれたコーヒーの香りがあった

宮古の老舗はたかしち

宮古で最も古い喫茶店で、今なお営業を続けているのが向町にある、たかしちである。創業は戦後の昭和21年か22年で本町に店を構えた。最初は手回しの機械で氷を削り、かき氷を出した。次の年には和井内まで牛乳を買いに行き、ミルクやミルクセーキ、アイスクリームも作った。病人に食べさせたいとアイスクリームを買いに来る客もいた。一斗樽で買ってきた牛乳がたちまち全部売れてしまうほどの大盛況だった。
  たかしちでは、2年目の冬から、コーヒー、菓子、果物を売る様になった。菓子といっても、最初は盛岡のかつぎ屋が持ってきたヤミのモナカや自家製のうぐいす餅であった。この頃ミスコムビアと霧島昇が歌うデュエット曲♪一杯のコーヒーからという歌が宮古でも流行した。この歌は戦前の昭和14年にコロムビアレコードから発売された流行歌であった。たかしちではこれに合わせて、盛岡の卸しの店から豆を買ってコーヒーを出した。近くにあったダンスホール帰りの客が寄り、コーヒーと菓子を注文して語り合ったという。喫茶店は当時としては貴重な間食の場、そして憩いに場であった

まぼろしの宮古製鉄所建設計画とは
南部藩士大島高任は釜石橋野村での洋式高炉の磁鉄鋼製錬に成功し、日本製鉄史上に足跡を残した人物である。その大島は、橋野における洋式高炉による製鉄が成功し、生産も軌道に乗り、運営も順調になってきた慶応2年2月、南部利剛公の命を受け、この宮古・近内村(現市内近内)において製鉄所の建設計画に着手することになった