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宮古夢灯り 漁火協議会の歩み

夕闇に包まれたふるさとの町に、人々に永遠の安らぎをと灯りが点火される。それは人々を幻想的な世界に誘う夢灯りだ。やわらかい光は人々の心に中に溶け込み、数々の宮古のシーンを彩りながら多くの感動を誘ってきた。その光に魅せられ、共に感動を共有しようと始まった夢灯り。20年以上も宮古のまちを染め抜く、夢灯りみやこ漁火協議会の歩みを振り返る。

特集内容より…特集Field Report
豊間根林道最深部・オソノエラ鍾乳洞へ再びアタック

オソノエラ沢から持ち帰ったというフズリナの化石が混入する石灰岩を見るため山田町豊間根支所前に立ち寄った。看板の説明によればこの石は、この石を調べ下閉伊地区の地層年代について論文を執筆した同町の工藤某氏が、山田線豊間根駅開業を記念し昭和10年頃に駅前に設置したものを移転したらしい。情報収集を兼ねて職員に尋ねると元教師で山田町の理科同好会にも所属していたという芳賀某氏を紹介され、早速へ伺いオソノエラ鍾乳洞の詳細を聞いた。それによると教師時代の昭和26年頃に何人かの中学生を連れてオソノエラ鍾乳洞に入ったという。当時はオソノエラノ沢と豊間根川が合流する地点からさらに上流部にマンガン鉱を産出する大谷鉱山があり、往時はトロッコ鉄道が豊間根駅まで施設されていたという。一行はこのトロッコの線路を歩き、あるいは空荷のトロッコに乗りオソノエラノ沢まで行ったようであった。芳賀氏は場所を説明するため平成8年に岩手日報社から刊行された地図を広げて見せた。すると、そこには鍾乳洞の地図記号とともにオソノエラ鍾乳洞の赤文字が印刷されていた。そしてその位置は何度も疑ったオソノエラノ沢に架かる不動明王橋から下流へ下った対岸であった。
  日を改め一年越し5度目の探索にオソノエラノ沢分岐点に車を止め装備を整える。今年3度目の探索であり最初の探索から数週間が過ぎ深山の木々も芽吹きはじめている。この気を逃せば樹木の葉が茂りますます発見が困難になるであろうと思われた。そして、この日、オソノエラノ沢林道入口で柴刈りと山菜を採りにきたという地元の古老と出会った。古老情報と案内でオソノエラ出鍾乳洞探索に光明が差し込んだ。林道を歩きながら古老が言うにはこの辺りは約20年前に大掛かりな伐採がありその後は人が入っていない、問題の穴は不動明王橋を渡り沢の対岸を30mほど下った所から斜面を登った頂上付近にあり入口の穴は沢から200mほどの高さなので、林道からその入口は見えないのだという。昔は目印に鳥居があったがそれが朽ちてから登り口もわからなくなったという。